あれから2年…
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深夜の更新です。
あの日のことを思い出しています。
2年前の3月11日、東日本大震災が起こりました。
思い返せば、本当に運が良かったのだろうと今になって考えています。
大震災当日、私はいわき市内郷にいたのですが…本来の予定では、いわき市久ノ浜の足場の上にいたはずなのです。
3月9日、予定より1日早くある足場の架設が終わりました。
その1日早く終わったことで、3月10日に久ノ浜の足場を解体してしまおう!ということになり、1日早くなったわけです。
大震災からちょうど24時間前、足場の材料を積んだトラックの助手席から…四ツ倉の道の駅から青い空と海を眺めていました。
その時に、運転していた取引先の仲間と、「海は青いし魚は美味そうだし、引越してこようかな。」「おいでよ!楽しくなるって!」などと話してましたね。
まさかそれから24時間後にあんなことが起こるとは…
もし、1日早くなっていなければ…足場ごと倒れていたかもしれない。もしかしたら、津波から必死で逃げていたかもしれない。
今思うと…運が良かったとしか言いようが無い。
拾った命という表現は良い表現ではないけれど、亡くなった方を思うと生かされた!と、思えて仕方がない。
それが本音です。
あれから2年が過ぎて、いわき市の街並みも本当に綺麗になりました。
まだまだ、未整備の地域も見えない被害もたくさんありますが…生活は日常を取り戻しています。
亡くなった祖母は東京大空襲の経験者でした、それを聞いて幼少を過ごした私ですが、今度はあの日のことをこれからの世代に話すのだろうと思ってます。
大震災から数日後、宿の近所のお婆ちゃんが言った言葉ですが、
「折角助かった命だから、亡くなった方の分もがんばって生きるんだ!負けてらんねぇべよ。」
小さな体から想像もつかない強い言葉に…
「待っててな!すぐに直してやっから。」
と、言うことができた自分を今では誇りに思ってます。
あれから2年、まだまだやることは残っています。帰れない人も、戻ってこない人も…たくさんいます。
多くの仲間は除染に従事していますし、原発に赴いてる人もいます。
まだ、過去と言うにはちょっと早過ぎるなぁ…
あの日のことを思い出しています。
2年前の3月11日、東日本大震災が起こりました。
思い返せば、本当に運が良かったのだろうと今になって考えています。
大震災当日、私はいわき市内郷にいたのですが…本来の予定では、いわき市久ノ浜の足場の上にいたはずなのです。
3月9日、予定より1日早くある足場の架設が終わりました。
その1日早く終わったことで、3月10日に久ノ浜の足場を解体してしまおう!ということになり、1日早くなったわけです。
大震災からちょうど24時間前、足場の材料を積んだトラックの助手席から…四ツ倉の道の駅から青い空と海を眺めていました。
その時に、運転していた取引先の仲間と、「海は青いし魚は美味そうだし、引越してこようかな。」「おいでよ!楽しくなるって!」などと話してましたね。
まさかそれから24時間後にあんなことが起こるとは…
もし、1日早くなっていなければ…足場ごと倒れていたかもしれない。もしかしたら、津波から必死で逃げていたかもしれない。
今思うと…運が良かったとしか言いようが無い。
拾った命という表現は良い表現ではないけれど、亡くなった方を思うと生かされた!と、思えて仕方がない。
それが本音です。
あれから2年が過ぎて、いわき市の街並みも本当に綺麗になりました。
まだまだ、未整備の地域も見えない被害もたくさんありますが…生活は日常を取り戻しています。
亡くなった祖母は東京大空襲の経験者でした、それを聞いて幼少を過ごした私ですが、今度はあの日のことをこれからの世代に話すのだろうと思ってます。
大震災から数日後、宿の近所のお婆ちゃんが言った言葉ですが、
「折角助かった命だから、亡くなった方の分もがんばって生きるんだ!負けてらんねぇべよ。」
小さな体から想像もつかない強い言葉に…
「待っててな!すぐに直してやっから。」
と、言うことができた自分を今では誇りに思ってます。
あれから2年、まだまだやることは残っています。帰れない人も、戻ってこない人も…たくさんいます。
多くの仲間は除染に従事していますし、原発に赴いてる人もいます。
まだ、過去と言うにはちょっと早過ぎるなぁ…
- 2013.03.11 Monday
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- 03:03
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- by とらじ